沖縄のガマ・戦跡案内
 
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沖縄の戦争(歴史について)

●古琉球の時代
12世紀ごろ~ グスク時代。各地の按司(あじ)が城(ぐすく)を築いて対立しあう。
14世紀ごろ~ 三山時代。按司が束ねられ、南山・中山・北山の三つの国にまとまる。

●尚氏王統時代
1429年ごろ 尚巴志が三つの国を統一して琉球国王に。
1609年 薩摩藩の侵攻。
1816年 イギリス戦のライラ号・アルセスト号が琉球へ来航。
1851年 アメリカより帰国途中のジョン万次郎が、摩文仁間切に上陸。
1853年 ペリー艦隊が琉球へ来航。
1879年 宮古船の台湾遭難事件。のちに台湾出兵が始まる。
1871~1879年 琉球処分。明治政府による廃藩置県で、琉球王国が廃止され「沖縄県」に。

●沖縄と戦争
1894年 日清戦争。
1904年 日露戦争。
1931年 満州事変。
1937年 盧溝橋事件。日中戦争の始まり。
1941年 ハワイ真珠湾攻撃。太平洋戦争のはじまり。
1944年 サイパン島陥落。
1944年10月10日 那覇空襲。
1945年3-4月 沖縄本島に米軍が上陸。
1945年6月 沖縄守備軍の司令部が糸満市の摩文仁(まぶに)まで撤退。
1945年7月2日 米軍が沖縄作戦終了を宣言。
1945年8月 広島・長崎に原爆投下。
1945年9月7日 沖縄の日本軍が降伏文書に調印。
1952年 米軍支配下で琉球政府発足。
1972年5月15日 沖縄が祖国復帰。
琉球政府によって建てられた石碑。

復帰前は日本との行き来にパスポートが必要でした(写真は松永のもの)

祖国復帰の記念碑。
(那覇市の沖縄県庁近く)

 
 
チビチリガマとシムクガマ

1945年4月1日、米軍の大部隊が沖縄本島の読谷(よみたん)・北谷(ちゃたん)エリアから上陸を始めました。逃げまどう住民の一部は「ガマ」とよばれる自然洞窟に隠れます。
読谷村(よみたんそん)にあるチビチリガマでは、ガマのなかにいた約140名中、2名が米兵に銃殺され、83名が「集団自決」しました。この「集団自決」では、身内同士で殺しあう悲劇が多数ありました。
しかし、その近くにあったシムクガマでは、チビチリガマと同じように米軍に追い詰められたのに、米軍に殺されたり「集団自決」することもなく、避難していた1,000名以上が生き残ることができました。
チビチリガマに逃げた住民と、シムクガマに逃げた住民。その生死を分けた原因は何でしょうか。平和学習でぜひ学んでいただきたいテーマです。


チビチリガマ内に掲示されている「チビチリガマの歌」(作詞:金城実)。


シムクガマ入口にて、ハワイ移民だった比嘉さん兄弟が米軍と交渉。
 
ガマの現地見学

沖縄県内には、沖縄戦で住民が避難したガマが各地に残っています。今でもたくさんの県民が、ガマに慰霊碑を建てたり、遺骨の収集活動を続けて、亡くなった方々への祈りをささげています。
沖縄での平和学習コースとして、これらのガマの見学をおすすめしています。暗くて狭くて湿ったガマの雰囲気を実体験することをつうじて、死の恐怖にさらされながら生きのびようとした当時の住民たちの心を感じ取っていただきたいと思います。