沖縄のガマ・戦跡案内
 
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日比野勝廣(ひびの かつひろ)さん

糸数壕について、日比野勝廣さんが多くの証言を残しておられます。

日比野さんは1943年に徴兵されて中国大陸で転戦したあと、1944年に沖縄に派遣されます。嘉数の丘での激戦も体験しました。
砲撃を受けて重症を負った日比野さんは、糸数壕のなかにあった野戦病院へ収容されました。しかし後退を続ける日本軍は、身動きできない日比野さんたち重症兵を壕に残して撤退しました。8月22日に日比野さんらは投降しました。洞窟内に150名いた負傷兵は、最後は9名にまで減っていたそうです。
日比野さんは戦後も沖縄を何度も訪ねて糸数の住民と交流を続け、沖縄戦で犠牲になった兵士・住民への供養を続けました。2009年7月に永眠されました(享年85)。