沖縄のガマ・戦跡案内
 
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具志 八重(ぐし やえ)さん

具志八重さんは、沖縄陸軍病院の第三外科の看護婦長として配属されました。沖縄戦が始まると傷病兵が次々と運び込まれ、具志さんは懸命に治療を続けました。
沖縄戦の末期、第三外科壕を包囲した米軍は、壕の中に毒ガス弾を投下しました。多数の看護婦・学徒隊が亡くなり、生き残ったのは具志さんをふくむわずかな人数だけでした。具志さんの証言は、米軍による毒ガス弾攻撃の貴重な記録です。
戦後は保健婦として、保健医療行政の充実に尽くしました。平和の語り部としての活動にも熱心で、1982年には国連の軍縮特別総会に参加して、沖縄戦で多数の住民が被害にあったことを世界へ訴えました。2011年3月6日、93歳で永眠されました。
 
具志さんから遺骨収集に誘っていただいたことが、私(松永光雄)が遺骨収集や平和ガイドの活動を始めるきっかけになりました。具志さんの意志を引き継いで、平和への願いを次代へと伝えてまいります。
 
具志八重さん