沖縄のガマ・戦跡案内
 
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糸数壕(アブチラガマ) / 南城市

沖縄戦の初期には住民や日本軍の避難場所になっていた壕で、のちには南風原陸軍病院の分室となりました。軍医・看護士・ひめゆり学徒隊が治療に当たりました。米軍による火炎放射攻撃のあとが今も残っています。

 

ヌヌマチガマ八重瀬町の田園地帯のなかにあるガマ(自然洞窟)です。傷病兵を治療する病院施設として使われました。
全長約500mの洞窟で、西側(病院施設側)は「ヌヌマチガマ」、東側は「ガラビガマ」と呼ばれます。

 

続きを読む: ヌヌマチガマ / 八重瀬町

ターガーガマ南城市玉城にターガーガマがあります。入口は狭いけれど、奥は約250mもある深い洞窟です。
 

 

轟壕 / 糸満市

全長100メートルもある巨大な洞窟で、内部には川もあります。最大時には1000人以上の住民や兵士がここに避難していました。
那覇市にいた県庁・警察の職員も、米軍に追われて轟壕へ避難してきました。沖縄戦末期には島田叡知事がここで県庁・警察の解散を宣言したことから「沖縄県庁最後の地」と言われます。
すでに捕虜となっていた県民の説得により、壕内に残っていた住民が投降して、約600人が米軍に保護されました。
 
 

日本軍の沖縄守備隊は、米軍に追い詰められて糸満市の摩文仁(まぶに)まで撤退しました。摩文仁の丘は、多数の兵士・住民が亡くなった激戦の地です。
摩文仁の周辺には、遺骨収集や調査がまだ進んでいない壕が多くあります。平和記念公園内の納骨堂近くにある壕も、そのひとつ。海岸近くの急斜面のなかにあり、ジャングルのような原生林に囲まれているので、なかなか人が近づけないのです。
 

続きを読む: 摩文仁 納骨堂近くの壕 / 糸満市

カマシチャガマ / 八重瀬町

カマシチャガマは八重瀬町字世名城にあります。野戦病院として使われたヌヌマチガマとは500mほど離れた場所です。沖縄戦の初期には住民の避難場所として、のちには日本軍の陣地として利用されました。

 
県庁・警察部壕 / 那覇市

沖縄戦初期に、米軍の攻撃を避けて県庁と警察の職員がこの壕で政務をおこないました。当時の沖縄県知事・島田叡氏もここで指揮をとりました。
映画「島守の塔」によって最近よく知られるようになりました。
 
 
陸軍病院 山城本部壕 / 糸満市

南風原町にあった陸軍病院の本部が、米軍に追い詰められて南部の糸満市へ移転しました。ひめゆり学徒隊などもここで看護を担いました。
直撃弾を受けて病院長・兵士・学徒など多数が犠牲となった悲劇の場所です。