沖縄のガマ・戦跡案内
 
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沖縄戦を語り継ぎ、平和な未来を築くために。
 
 

このホームページは、
沖縄で平和学習ガイドや遺骨収集活動をしている
松永光雄の個人サイトです。

沖縄では、平和学習のために訪れた方々をサポートするために、多数の団体・個人が平和学習ガイドとして活動しています。
このサイトでは、沖縄に残された戦争遺跡などをご案内しながら、平和学習ガイドや遺骨収集の活動についてお伝えしていきたいと思います。


ガマのご案内

沖縄各地にあるガマ(自然洞窟)は、沖縄戦で多数の住民が避難したり、日本軍の陣地や野戦病院として利用されたりしました。戦後70年を過ぎた今でも、調査や遺骨収集の進んでいないガマがまだたくさんあります。ここでは、沖縄戦を学ぶ体験学習の場としてよく利用されるガマの一部をご紹介します。

 
ヌヌマチガマターガーガマ
 

下記のガマでも平和学習を受け付けています。

糸数壕(アブチラガマ) / 轟壕 / 摩文仁 納骨堂近くの壕 / カマシチャガマ / 県庁・警察部壕 / 陸軍病院 山城本部壕

 
 

NPO法人沖縄鍾乳洞協会
~平和学習の基本~

  • NPO法人沖縄鍾乳洞協会では安全を第一に考えています。そのため、装備(ヘルメット、電灯、軍手)全てNPO法人沖縄鍾乳洞協会で準備します。歩きやすいスニーカー、汚れてもよい服装で参加して下さい。傷害保険はかけます。また、体調の悪い人の入洞は強制しません。
  • ガマは、沖縄県民の戦争当時の隠れ場所として説明します。ガマ内部で起きた出来事(日本兵による虐殺、集団自殺)について必要以上の説明はしません。ガマの中に平和の光を届けるための平和学習として説明します。オーガナイザーの要請があれば検討いたします。誓って、史実を曲げることは致しません。
  • 1クラスの基本的な体験時間は、ガマ体験、外部説明、移動時間、含めて60分
 
複数のガマを同時利用できます。多人数でも同一行動ができます。

当協会では、ヌヌマチガマ、ターガーガマ、カマシチャガマの3つのガマを利用できます。そのため、多人数の修学旅行でも、沖縄南部地区での平和学習が同一行動で進めることが出来ます。

 
平和学習の料金について

NPO沖縄鍾乳洞協会では、下記の通りの料金になります。

  体験料:一人300円(税別)
  ガイド料:ガイド1名・1か所ごとに 5,000円(税別)

傷害保険をかけており、体験料で対応します。安全装備(ヘルメット、電灯、軍手)は全て当協会で準備します。

 

電話でお問い合わせ・お申し込みいただけます。少人数での平和学習・戦跡ガイドにも対応しています。コロナウィルスにたいする感染対策も徹底しています。

電話番号08098541953
 
  • お問い合わせの前に「平和学習の基本」ページをご覧ください。→「平和学習の基本」
  • 平和学習予定日の1カ月前には、申し込みのご連絡をお願いします。すでにスケジュールが埋まっていないか、あらかじめ「スケジュールカレンダー」でご確認ください。→「スケジュールカレンダー」
 
平和講話も受け付けています

当協会では、平和講話の講師派遣もしています。講話の内容、時間、費用などについては電話にてご相談ください。

 

松永光雄の平和講話

平和部会の理事、松永光雄は、20年以上平和活動に従事している。
遺骨収集なども行っており、沖縄戦に詳しい。
特に、八重瀬町在住のこともあって、白梅学徒の戦争経歴に詳しい。
修学旅行の生徒への沖縄戦学習を長くやっている。
山内理事長と同様、ガマは、多くの沖縄住民を助けた場所と考えている。
松永氏は「沖縄での平和学習をとおして、沖縄戦を知り、戦争のむごさを知ることによって、平和の大切さ、命の尊さを沖縄から持ち帰ってほしい」と語っている。

遺骨収集の写真を見るときの注意点
ここでは、沖縄戦で亡くなられた方々の遺骨収集をしたときの写真を掲載しています。大量の人骨の写真が並んでいるので、見る人によっては気分が悪くなるなどの問題があるかもしれません。注意してご覧ください。
沖縄の戦争(歴史について)

●古琉球の時代
12世紀ごろ~ グスク時代。各地の按司(あじ)が城(ぐすく)を築いて対立しあう。
14世紀ごろ~ 三山時代。按司が束ねられ、南山・中山・北山の三つの国にまとまる。

●尚氏王統時代
1429年ごろ 尚巴志が三つの国を統一して琉球国王に。
1609年 薩摩藩の侵攻。
1816年 イギリス戦のライラ号・アルセスト号が琉球へ来航。
1851年 アメリカより帰国途中のジョン万次郎が、摩文仁間切に上陸。
1853年 ペリー艦隊が琉球へ来航。
1879年 宮古船の台湾遭難事件。のちに台湾出兵が始まる。
1871~1879年 琉球処分。明治政府による廃藩置県で、琉球王国が廃止され「沖縄県」に。

●沖縄と戦争
1894年 日清戦争。
1904年 日露戦争。
1931年 満州事変。
1937年 盧溝橋事件。日中戦争の始まり。
1941年 ハワイ真珠湾攻撃。太平洋戦争のはじまり。
1944年 サイパン島陥落。
1944年10月10日 那覇空襲。
1945年3-4月 沖縄本島に米軍が上陸。
1945年6月 沖縄守備軍の司令部が糸満市の摩文仁(まぶに)まで撤退。
1945年7月2日 米軍が沖縄作戦終了を宣言。
1945年8月 広島・長崎に原爆投下。
1945年9月7日 沖縄の日本軍が降伏文書に調印。
1952年 米軍支配下で琉球政府発足。
1972年5月15日 沖縄が祖国復帰。
琉球政府によって建てられた石碑。

復帰前は日本との行き来にパスポートが必要でした(写真は松永のもの)

祖国復帰の記念碑。
(那覇市の沖縄県庁近く)

 
 
チビチリガマとシムクガマ

1945年4月1日、米軍の大部隊が沖縄本島の読谷(よみたん)・北谷(ちゃたん)エリアから上陸を始めました。逃げまどう住民の一部は「ガマ」とよばれる自然洞窟に隠れます。
読谷村(よみたんそん)にあるチビチリガマでは、ガマのなかにいた約140名中、2名が米兵に銃殺され、83名が「集団自決」しました。この「集団自決」では、身内同士で殺しあう悲劇が多数ありました。
しかし、その近くにあったシムクガマでは、チビチリガマと同じように米軍に追い詰められたのに、米軍に殺されたり「集団自決」することもなく、避難していた1,000名以上が生き残ることができました。
チビチリガマに逃げた住民と、シムクガマに逃げた住民。その生死を分けた原因は何でしょうか。平和学習でぜひ学んでいただきたいテーマです。


チビチリガマ内に掲示されている「チビチリガマの歌」(作詞:金城実)。


シムクガマ入口にて、ハワイ移民だった比嘉さん兄弟が米軍と交渉。
 
ガマの現地見学

沖縄県内には、沖縄戦で住民が避難したガマが各地に残っています。今でもたくさんの県民が、ガマに慰霊碑を建てたり、遺骨の収集活動を続けて、亡くなった方々への祈りをささげています。
沖縄での平和学習コースとして、これらのガマの見学をおすすめしています。暗くて狭くて湿ったガマの雰囲気を実体験することをつうじて、死の恐怖にさらされながら生きのびようとした当時の住民たちの心を感じ取っていただきたいと思います。

 
平和ガイドの活動



平和学習とは

激しい地上戦の戦場となった沖縄には、県外から毎年たくさんの方が平和学習に訪れています。平和ガイドの仕事とは、平和学習をサポートして、学習コースの選定をお手伝いしたり、戦跡や資料館などの案内や解説をすることです。
平和ガイドの派遣申し込みをするときは、希望する日時やコースなどについて、受け付け窓口の個人・団体と時間をかけてじっくり打ち合わせるようにお願いします。




注意事項について
1 マナーを守りましょう

戦争遺跡は、たくさんの方が亡くなられた地です。遺族にとって、うしなった家族・親戚の冥福を祈る何よりも大切な場所です。また、ガマ(自然洞窟)の多くは土地所有者のご好意で保存され、一般公開していただいています。
騒ぐこと、ゴミを捨てること、遺跡を汚したり壊したりすること、遺跡内の物品を持ち去ることは厳禁です。心ない見学者のためにトラブルとなり、一般公開禁止になった戦争遺跡が今までたくさんあります。地域の皆さんの迷惑にならないようにしましょう。


2 安全で動きやすい服装に
  • 運動靴など動きやすい靴でご参加ください。とくにガマ内ではサンダル・ハイヒールは禁止です。
  • 岩・草・虫などで傷つかないために長ズボンや軍手をご用意ください。
  • ガマに入る場合は懐中電灯もご用意ください。
  • 日射病にならないよう、狭いガマのなかで頭を傷つけないよう、帽子やヘルメットをご用意ください。
  • ひどい日焼け防止に、夏でも薄手の長袖上着を準備することをおすすめします。

お申し込み方法

電話でお問い合わせ・お申し込みいただけます。少人数での平和学習・戦跡ガイドにも対応しています。コロナウィルスにたいする感染対策も徹底しています。

電話番号08098541953
 
  • お問い合わせの前に「平和学習の基本」ページをご覧ください。→「平和学習の基本」
  • 平和学習予定日の1カ月前には、申し込みのご連絡をお願いします。すでにスケジュールが埋まっていないか、あらかじめ「スケジュールカレンダー」でご確認ください。→「スケジュールカレンダー」
 
 
ガマのご案内
ガマのご案内 松永 光雄

八重瀬町在住。1988年から平和ガイドを始めました。
沖縄陸軍病院第三外科壕で看護婦長をされていた具志八重さんにすすめられ、遺骨収集に参加したことが、平和ガイドになったきっかけです。たくさんの沖縄戦体験者にお会いして、戦争体験を後世に伝えていきたいと考えるようになりました。

 

 
 
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